訪問歯科の現場では、「入れ歯を作ってほしい」というご相談を日常的にいただきます。
「歯があれば、好きなものが食べられる」
「入れ歯ができたら、また以前のように食べられる」
ご本人にも、ご家族にも、そんな期待があります。食べる楽しみを取り戻してほしい。その気持ちは、私も同じです。
ただ、訪問診療でお会いする方の多くは、入れ歯を作るだけで、すぐに何でも食べられるようになるわけではありません。
入れ歯が役立つためには、今のお口と身体の状態、これまでの経験、そして日々の支えを、一緒に考える必要があります。
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療養の段階によって、必要な歯科治療は変わる
2026年に発表された研究では、食べることなどに問題があり、訪問歯科を受けた高齢者356人について、急性期・回復期・在宅や施設で生活する時期の歯科治療のニーズを調べています。
急性期では、口の清潔を保つケアや嚥下リハビリテーションが優先されることが多く、回復期では、それらに加えて義歯治療の重要性が増していました。在宅・施設で生活する時期には、さまざまなニーズの中で、義歯治療が最も多く優先されていました。
ここでいう義歯治療は、新しい入れ歯を作ることだけを意味するものではありません。
また、この研究は、異なる療養段階の患者さんを比較した横断研究です。同じ人の回復を追った研究でも、入れ歯を作った後にどれだけ食べられるようになったかを検証した研究でもありません。
それでも、「歯がないから入れ歯を作る」という判断だけでは十分ではなく、その方が今、どのような状態にあり、何を必要としているのかを考える大切さを示しています。
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「なぜ今、入れ歯を使っていないのか」を知る
私が入れ歯のご相談を受けたときに大切にしているのは、今のお口を見ることに加えて、そこに至るまでのお話を伺うことです。
歯は、いつ、どのような経緯でなくなったのか。
これまで入れ歯を作ったことがあるのか。
使っていたのなら、なぜ使わなくなったのか。
「入れ歯がない」という同じ状態でも、その背景は大きく異なります。
痛い、外れる、噛みにくいという問題だったかもしれません。舌や頬をうまく動かせなくなり、入れ歯を扱うことが難しくなったのかもしれません。
口に物が入る感覚が気持ち悪かったり、不安が強かったりする方もいます。認知症によって、入れ歯が何のためのものか分からなくなり、取り出してしまうこともあります。
一方で、以前は使えていたのに、入院をきっかけに装着の習慣が途切れたり、紛失したり、着脱を手伝ってもらう機会がなくなったりした方もいます。施設の支援体制や情報の引き継ぎが十分でなく、使う機会を失っていた可能性もあります。
これらは、一つだけが原因とは限りません。
だからこそ、使わなくなった理由を、ご本人の「やる気」の問題として片づけず、ご家族や介護に関わる方のお話も聞きながら整理します。理由を知らずに新しい入れ歯を作っても、同じ困りごとが繰り返されるかもしれないからです。
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入れ歯が補うのは、「食べる力」の一部分
食べるとき、私たちは歯だけを使っているわけではありません。
唇で食べ物を取り込み、舌と頬で噛む場所へ運び、唾液と混ぜてまとめ、飲み込みます。姿勢や体力、食べ物への関心、食事を支える環境も関わります。
入れ歯は、その中で噛むための大切な助けになります。しかし、入れ歯ができたからといって、舌や頬の動き、飲み込む力まで一度に戻るわけではありません。
「入れ歯があること」と「食べたいものを安全に食べられること」の間には、その方に必要な調整や練習があります。
何を、どのような形で、どのくらい食べられるか。その確認も、入れ歯の治療と一緒に進めていく必要があります。
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「入れ歯は出来上がってからがスタートです」
私は、ご本人やご家族に、毎回この言葉をお伝えしています。
久しぶりに入れ歯を使う方や、初めて使う方にとっては、口の中に異物を保つだけでも、大きな負担になることがあります。
出来上がった入れ歯をお渡しして、そこで終わりにはできません。
痛みや外れやすさを確認し、必要な調整を重ねる。どのような場面で使えるのかを確かめる。食事の様子を見ながら、その方に合った使い方を探す。
装着時間や練習の進め方も、一律ではありません。痛みや強い苦痛があるのに、「慣れるまで我慢してください」と無理を続けてもらうことは避けたいと思っています。
目標も、「何でも食べられる」だけではありません。
まずは落ち着いて装着できること。
今食べているものを、少し噛みやすくすること。
好きな食べ物に近づける可能性を、少しずつ探すこと。
その方にとって意味のある目標を、ご本人や周囲の方と共有することが大切です。
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説明を覚えられなくても、安心できる支えを
認知症のある方に、入れ歯の目的や練習の必要性を言葉だけで理解していただくことは、難しい場合があります。
それでも、理解が難しいことと、入れ歯を使える可能性がないことは、同じではありません。これまでの習慣や、周囲の関わり方も含めて、その方の反応を見ていきます。
装着を嫌がったときも、単なる拒否と決めつけず、痛くないか、怖くないか、入れ方に負担がないかを確かめたいと思っています。
また、説明を理解できる方でも、「できたのだから、今日から食べられるはず」と期待されることがあります。長く食べることに困ってきた方ほど、早く結果を求めるお気持ちは自然です。
その期待を大切にしながら、今できていることと、これから確かめていくことを、具体的にお伝えしていきます。
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作る前から、「作った後」を考える
入れ歯を作る前には、完成後の生活も考える必要があります。
誰が着脱を手伝えるのか。清掃や保管は誰が担うのか。食事中の様子を誰が見られるのか。痛みや使いにくさがあったとき、歯科へ連絡し、調整を続けられるのか。
歯科が訪問した日に使えても、普段の生活で使う機会がなければ、慣れていくことは難しくなります。
今回の論文でも、療養段階に応じた多職種連携と、介護に関わる方への義歯・口腔の管理に関する支援の重要性が述べられています。
毎日そばにいる方の「今日はすぐ外してしまった」「食事のときは使えていた」という気づきは、次の診療につながる大切な情報です。
支援が足りない場合には、ご家族や介護職の方だけに負担を求めるのではなく、歯科も一緒に、続けられる方法を考えたいと思っています。
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一人ひとりの道のりを、一緒に歩く
以前の入れ歯を調整することで使える方もいれば、新しく作り、時間をかけて慣れていく方もいます。口の痛みや全身の状態への対応を先に進めた方がよい方もいます。
今は装着の負担が大きく、食事の工夫や口腔ケアを優先しながら、改めて入れ歯の可能性を考える場合もあります。
大切なのは、年齢や認知症の有無だけで決めず、その方の希望と状態、生活環境を見ていくことです。
「入れ歯を作ってほしい」という言葉の奥には、「もう一度、好きなものを食べたい」「家族と同じ食卓を楽しみたい」という願いがあります。
その願いを支えるために、これまでの経緯を知り、今のお口を確かめ、出来上がった後も関わり続ける。
入れ歯は、出来上がってからがスタートです。
その先の道のりは、一人ひとり違います。だからこそ、ご本人、ご家族、介護に関わる方々と一緒に、その方の「食べる幸せ」につながる使い方を探していきたいと思っています。
参考文献:Todayama N, Suzuki H, Matsubara C, et al. Cross-Sectional Survey of Dental Treatment Needs Among Older Adults Receiving Home-Visit Dental Care for Eating-Related Problems in Acute, Convalescent and Community-Based Care Phases. Journal of Oral Rehabilitation. 2026.
https://doi.org/10.1111/joor.70296



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