私たちは毎日、何かを食べています。
「お腹が空いたから食べる」
もちろん、それが食事の一番基本的な理由です。
しかし、長く患者さんのお口を診ていると、食べるという行為はそれほど単純ではないと感じます。
同じように歯があって、同じように噛めて、同じように飲み込めたとしても、よく食べる人もいれば、あまり食べなくなる人もいる。
その違いは、口の機能だけでは説明できないことがあります。
人との関わり、生活の楽しさ、気持ちの張り、ストレス、そして「誰かと一緒に食べたい」という気持ち。
食べるという行為には、実に多くのものが関わっています。
そんなことを改めて考えさせられる研究を読みました。
最近の日本感性工学会論文誌に掲載された、
という研究です。
この研究では、日本の20~69歳、12,357人を対象に、1年間の実際の食品購買データと、その人たちの心理特性との関係を調べています。
調べられたのは、性格心理学でよく使われる「Big Five」と呼ばれる5つの性格特性をはじめ、ストレス、レジリエンス、身体感覚、感受性、価値観など15の心理特性です。
研究の結果、興味深い傾向がみられました。
誠実性、外向性、調和性が高い人では、食品購買が多くなる傾向があり、反対に神経症傾向が高い人では、食品購買が少なくなる傾向が確認されたのです。
さらに、ストレスから立ち直る力であるレジリエンスも、誠実性や調和性と似たように、食事や間食に関わる食品の購買を促す方向に働いていました。
一方、ストレスや神経症傾向、身体の気づきなどは、食事や間食に関係する食品の購買を抑える方向との関連が認められています。
もちろん、この研究は「性格によって食べる量が決まる」と証明したものではありません。
食品を買った金額を調べた研究ですから、実際にその人がどれだけ食べたのかまでは分かりません。
また、家族のために食品を購入している場合もあります。
そして何より、この研究では口腔機能そのものは調べられていません。
ですから、この研究結果から直接、
「外向的な人ほど口腔機能が高い」
などと言うことはできません。
しかし、私はここに少し別の面白さを感じています。
研究でいう「外向性」とは、人と積極的に付き合い、会話することを好み、社会との関わりを持つ傾向です。また「調和性」は、他者の気持ちを察し、協力しながら人と関わる性格特性です。
つまりこの研究では、少なくとも統計的には、
人との関わりを持ちやすい特性と、食品を購入するという行動との間に関連があった
ということになります。
ここから先は、この論文が直接示したことではなく、私自身が日々のお口の診療から感じていることです。
人と関わるために、私たちは「口」を使います。
話す。
笑う。
相槌を打つ。
驚く。
喜ぶ。
名前を呼ぶ。
一緒に食べる。
口は、単に食べ物を噛んで飲み込むためだけの器官ではありません。
人と人をつなぐための器官でもあります。
そして、人と話そうとすれば口を動かします。
笑えば表情筋が働きます。
声を出せば舌や唇、顎、喉が働きます。
誰かと食事をすれば、食べ物を見て、匂いを感じ、会話をしながら咀嚼し、飲み込みます。
そこでは口だけではなく、顔、首、呼吸、姿勢、そして脳までが一緒に働いています。
以前、訪問先で感じたことがあります。
食事量が少なくなっている方でも、ご家族の面会時は普段よりよく食べる。
いつも無表情だった方が、昔の話を始めると突然表情豊かになり、声も大きくなる。
好きだった食べ物を見せると、目が変わる。
口も動き始める。
そのような場面を何度も見てきました。
だから私は、
口腔機能を守ることと、人との関わりを守ることは、もしかすると完全には切り離せないのではないか
と思っています。
今回の研究でも、性格や心理特性の影響が特に表れたのは、食事や菓子、調味料、茶などの「食事・間食関連食品」でした。
一方で、水分補給など目的が明確な飲料や用途限定食品では、心理特性の影響が比較的小さかったと報告されています。
これも非常に興味深いところです。
喉が渇いたから水を飲む。
これは身体的な必要性に近い行動です。
しかし、
今日は何を食べよう。
あの人と一緒に食べよう。
ちょっとお菓子を買って帰ろう。
家族のためにこれを作ろう。
こうした食行動には、身体の必要性だけでなく、感情や人間関係、生活の楽しみが入り込んできます。
「食べる」ということは、栄養を摂るだけではないのです。
だからこそ、私は高齢の患者さんを診るとき、
「噛めますか?」
「飲み込めますか?」
だけで終わらせたくありません。
誰と話しているのか。
誰と食べているのか。
最近笑ったことはあるのか。
楽しみにしている食べ物はあるのか。
そんなところにも、その人の「食べる力」が隠れているように思います。
歯があっても、食べる理由がなくなれば食べなくなるかもしれない。
反対に、少しくらい口が不自由でも、
「これを食べたい」
「この人と食べたい」
という気持ちが、その人の口を動かすこともあります。
そして会話をすること、笑うこと、表情をつくること自体が、日常の中で口や顔を使う機会になります。
もしかすると、
人とのつながりが口を動かし、口が動くことが人とのつながりを保ち、そしてその先に「食べる」がある。
そんな循環が、人間にはあるのかもしれません。
今回の論文は、その循環を直接証明した研究ではありません。
けれども、
「食品を選び、買い、食べる」という行為の背景には、その人の心や人との関わりがある
ということを、大規模な実購買データから改めて示してくれています。
口は、食べるためだけのものではありません。
人とつながるためのもの。
そして人とつながることが、また「食べたい」という気持ちを生む。
だから私はこれからも、
歯だけを見るのではなく、
噛む力だけを見るのでもなく、
その人が誰と笑い、誰と話し、何を楽しみに生きているのか。
そんなところまで含めて、
「食べる幸せ」を守るお手伝いができればと思っています。
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