「歯医者が好きです!」

という方は、正直それほど多くないのではないでしょうか。

できれば行きたくない。

あの音が苦手。

麻酔が怖い。

口の中を触られるだけで緊張する。

程度の差はあっても、「歯医者は怖い」というイメージを持っている方は少なくありません。

しかし今回お話ししたいのは、

「嫌だけれど治療は受けられる」

という程度ではなく、

怖くて予約ができない。

予約してもキャンセルしてしまう。

診療台に座るだけで動悸がする。

治療を受けなければいけないとわかっているのに、身体が拒否してしまう。

そんな「歯科恐怖・歯科不安」についてです。

近年の研究でも、強い歯科不安を抱える成人は決して珍しくないことが報告されています。

そして大切なのは、

これは単なる「怖がり」ではない

ということです。

歯医者が怖い人ほど、歯医者から離れられなくなる

歯科恐怖が強い方にとって、

「歯医者に行かなければ怖い思いをしなくて済む」

というのは、とても自然な考えです。

ところが、ここに大きな落とし穴があります。

怖い→

→歯医者を避ける→

→むし歯や歯周病などが進行する→

→痛くなってから受診する→

→治療が大きくなる→

→「やっぱり歯医者は怖い」と感じる→

→さらに歯医者から遠ざかる

という悪循環が起こりやすいからです。

実際、歯科不安や歯科恐怖は治療回避と関連し、口腔状態や生活の質にも影響することが報告されています。

つまり、

「怖いから行かない」ことが、結果として「もっと怖い治療が必要な状態」を作ってしまうことがある。

これが歯科恐怖の難しいところなのです。

歯医者が怖くなった原因は、本当に「痛い治療」だけなのでしょうか?

歯科恐怖症について調べると、

「過去の歯科治療での苦痛体験」

が原因として挙げられることがあります。

もちろん、これは重要な要素です。

幼い頃に押さえつけられた。

痛いのに治療を続けられた。

怖い先生に怒られた。

そんな経験が、その後の歯科恐怖につながることは十分に考えられます。

ちなみに私自身も子どもの頃、歯医者さんで

「帰れー!」

と怒鳴られた経験があります(笑)。

ただ、長く患者さんを診ていると、私は時々疑問に思うのです。

同じような経験をしても、歯医者を怖がる人と怖がらない人がいるのはなぜなのでしょう?

研究でも興味深いことがわかっています。

嫌な歯科体験を経験していても歯科恐怖を持たない人がいる一方、明確なトラウマ体験を思い出せなくても強い歯科恐怖を持つ人がいます。

つまり、

「何をされたか」だけではなく、

「その出来事を自分の脳がどう受け取ったか」

も重要なのです。

「痛い」より怖いのは、「何をされるかわからない」ことかもしれない

歯科恐怖を考えるうえで、とても重要なキーワードがあります。

それが、

「予測できない」

「自分でコントロールできない」

という感覚です。

考えてみてください。

診療台を倒される。

目の前では何が行われているのかわからない。

突然機械の音がする。

口の中に器具が入ってくる。

水が出る。

「痛かったら手を挙げてください」と言われたけれど、本当に止めてくれるかわからない。

しかも、自分では口の中を見ることができません。

これは脳にとって、かなり特殊な状況です。

過去の研究でも、歯科治療を

「危険である」

「予測できない」

「自分ではコントロールできない」

と認識することが、歯科恐怖と強く関係することが示されています。

だからこそ私は、

歯科恐怖症は単純に「痛みに弱い人」の問題ではない

と考えています。

なぜ「口を触られること」は、こんなにも怖いのでしょう

口の中は、とても感覚の鋭い場所です。

舌に髪の毛が一本付いただけでも気になりますよね。

そんな場所に、見えないところから他人の指や器具が入ってくる。

本来であれば、警戒して当然なのです。

だからこそ歯科治療では、

「誰に口を任せるか」

がとても大切なのではないでしょうか。

そこで重要になるのが、

患者さんと歯科医療者との信頼関係です。

「この人なら大丈夫」

「怖いと言っても嫌な顔をされない」

「手を挙げれば本当に止めてくれる」

「これから何をするのか説明してくれる」

こうした経験が積み重なることで、

「ここでは自分で状況をコントロールできる」

と脳が学習していきます。

人との信頼や安心にはオキシトシンなどの神経系が関与することが知られていますが、歯科恐怖症を「オキシトシン不足」と単純に説明することはできません。

それでも、

人とのつながりや安心感がストレス反応に影響する

という考え方は、歯科治療においても非常に大切だと思います。

「痛み」は歯だけで決まっているわけではありません

もうひとつ知っていただきたいのが、

痛みは、身体から脳へ送られてくる刺激だけで決まるものではない

ということです。

不安や恐怖、過去の記憶、睡眠状態、ストレス、注意がどこに向いているかなどによっても、痛みの感じ方は変化します。

「また痛いことをされるかもしれない」

そう思いながら診療台に座れば、脳は最初から警戒状態になります。

すると普段なら気にならない刺激まで、

「危険かもしれない」

と大きく受け取ってしまうことがあります。

ここにはセロトニン、ノルアドレナリンを含めた複数の神経伝達系やストレス反応が複雑に関与しています。

以前は私自身、「セロトニンが低下すると痛みの閾値が下がる」という視点を強く持っていました。

現在の知見を踏まえると、歯科恐怖症をセロトニンだけで説明するのは難しいと思います。

むしろ、

脳が「ここは危険だ」と判断して警戒モードになっている

と考えるほうが、わかりやすいかもしれません。

嫌な記憶は「次の治療」にもやってくる

そしてもうひとつ。

人間の脳には、

危険だった出来事を記憶して、次に同じ危険を避けようとする

という大切な働きがあります。

これは本来、生きていくために必要な能力です。

ところが、

歯科医院の匂い。

機械の音。

白衣。

診療台。

口に器具が入る感覚。

こうしたものと強い恐怖が結びついてしまうと、それらに触れただけで身体が「危険!」と反応するようになることがあります。

頭では、

「今の先生は怖くない」

とわかっている。

それでも心臓がドキドキする。

汗が出る。

身体が硬くなる。

逃げたくなる。

つまり、

理性より先に、身体が反応してしまうのです。

これは「意志が弱い」のではありません。

脳があなたを守ろうとしている結果でもあります。

だから歯科恐怖症は「克服できる可能性」があります

ここで、ぜひ知っていただきたいことがあります。

近年の研究では、

歯科恐怖・歯科不安は、適切な介入によって改善できる

ことがわかってきています。

特に成人の歯科恐怖に対しては、認知行動療法(CBT)などの心理的アプローチに一定の有効性が示されています。

また必要に応じて、

笑気吸入鎮静法、

静脈内鎮静法、

薬物療法

などを利用して治療を進める方法もあります。

つまり、

「怖いけれど我慢して治療する」

だけが選択肢ではありません。

むしろ大切なのは、

怖さに合わせて治療方法を選ぶこと

なのです。

歯科恐怖症の人に、最初から「むし歯を治す」必要はない

私はここがとても大切だと思っています。

歯医者が怖くて何年も受診できなかった方が、

「勇気を出して来たのだから、今日から治療しましょう」

と言われたらどうでしょう。

それだけでも怖いと思います。

だったら最初は、

治療をしなくてもいい。

相談だけでもいいのです。

診療台に座らなくてもいい。

口を開けなくてもいい。

「私は何が怖いのか」

を先生に話すだけでもいい。

そして次に、

診療台に座ってみる。

その次に、

口の中を鏡で見るだけ。

そうやって、

「ここでは嫌なことを無理にされない」

という経験を脳に少しずつ覚えてもらう。

これも立派な治療なのです。

歯科恐怖症の方ほど「信頼できる先生」を探してほしい

では、どんな歯科医師が良いのでしょう。

私は、

「良い歯科医師」の絶対的な条件はない

と思っています。

技術が高い。

説明が上手。

優しい。

最新機器がある。

もちろん、どれも大切です。

でも歯科恐怖症の方にとって、それ以上に重要なのは、

「この先生なら、自分の口を任せてもいい」

と思えるかどうかではないでしょうか。

ですから最初から「ここで治療しなければ」と決めなくてもいいと思います。

可能であれば、いくつかの歯科医院で相談してみてください。

そして、

「怖いので今日は相談だけにしたいです」

「治療の前に必ず説明してください」

「手を挙げたら止めてください」

「痛みにとても敏感です」

と伝えてみてください。

その言葉を先生やスタッフがどう受け止めてくれるか。

そこを見てほしいのです。

「歯医者が怖い自分」を治すのではなく、「怖くても大丈夫な経験」を増やしていく

歯科恐怖症の方は、

「こんなに怖がる自分がおかしい」

と思ってしまうことがあります。

でも私は、少し違うと思っています。

怖さを無理に消そうとする必要はありません。

大切なのは、

「怖かったけれど大丈夫だった」

という経験を少しずつ増やしていくことです。

今日は歯医者の扉まで行けた。

今日は先生と話せた。

今日は診療台に座れた。

今日は口の中を見てもらえた。

今日は麻酔までできた。

そうやって一つずつ、

脳の中の

「歯医者=危険」

という記憶を、

「歯医者=怖いこともあるけれど、自分でコントロールできる場所」

へと少しずつ書き換えていく。

歯科恐怖症の治療とは、

むし歯を削ることより前に、

安心できる経験を積み重ねることから始まるのかもしれません。

そしてもし今、

「怖すぎて歯医者に行けない」

と思っている方がいらっしゃるなら、

最初の目標を「歯を治すこと」にしなくてもいいのです。

まずは、

「怖いです」と伝えられる歯医者を探すこと。

そこからで十分だと、私は思います。

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