以前ご紹介した、ブルーベリージャムをきっかけに奇跡的に意識を取り戻された患者さん。

歯がないまま10年

思い切って入れ歯を作ってほしいとおっしゃった患者さんに、なんとか入れ歯を作ってあげたい。

しかし、そのためには乗り越えなければならない大きな課題がありました。

歯も、入れ歯もない。

入れ歯を作りましょう。

そう考えることは歯科医師として自然なことかもしれません。

けれど私は、すぐにはその決断ができませんでした。

その理由の一つが、装着感です。

私たちは大学時代、総入れ歯に近い感覚を体験するために、上あごを覆う装置を作り、2週間装着して生活する実習がありました。

ところが、多くの学生が「とても付けていられない」と途中でギブアップしてしまいます。

私は幸い3日ほどで慣れましたが、それでも普段と比べると、話すことも食べることも不自由に感じたことを今でも覚えています。

つまり、入れ歯は作れば終わりではありません。

まずは口の中に入っているという感覚に慣れること

何も話さず、何も食べず、ただ装着しているだけでも、患者さんにとっては大きな努力なのです。

さらに、総入れ歯にはもう一つ重要な問題があります。

それは安定です。

総入れ歯は、部分入れ歯のように支えとなる歯がありません。

そのため、「歯ぐきにぴったり合っている」だけでは十分ではないのです。

実際には、

・咬み合う相手の歯(対合歯)

・頬の筋肉

・唇の筋肉

・そして舌の力

これらが絶妙なバランスで働くことで、初めて入れ歯は安定します。

だからこそ、本来であれば上下の総入れ歯を一緒に作るのが基本です。

しかし、この患者さんは、

10年間歯のない状態(無歯顎)で生活され、さらに左半身麻痺もある。

教科書通りに進めることが、本当にこの方の幸せにつながるのだろうか。

私はそこで、一歩踏みとどまりました。

歯科医師として「作れる」ことと、「作るべき」ことは、必ずしも同じではありません。

患者さんにとって何が最善なのか。

その答えを探しながら、私はある決断をすることになります。

その続きは、次回お話ししたいと思います。

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