
長寿国と言われる日本。2024年の平均寿命は男性81.09歳、女性87.13歳に達しています。一方で、自立して健康に生活できる期間とされる健康寿命は男性約73歳、女性約75歳とされ、その差は8〜12年。この期間、多くの人が要介護状態となり、外出だけでなく、入浴・排泄・そして「食事」にも制限が生じます。
なかでも「食べたいものが食べられない」という状況は、身体的な問題以上に大きな精神的ストレスとなります。逆に言えば、「食べたいものを食べる」ことは、生きる意欲そのものを支える大切な要素でもあります。
以前、在宅診療で義歯作製の依頼を受けたことがありました。脳梗塞後に介護状態となり、義歯が使えなくなった患者さんです。麻痺によって姿勢が安定せず、咬み合わせも不安定なため、「義歯の作製は難しい」と言われていた方でした。
しかし、丁寧にお話を伺う中で、その方には「どうしても食べたいもの」があることが分かりました。それは「海苔巻き」でした。
そこで、ご家族と相談しながら車椅子上で姿勢を安定させる工夫を行い、義歯を作製。さらに口腔リハビリを重ねた結果、ついに海苔巻きを食べられるようになりました。そのときのご本人とご家族の喜びに満ちた表情は、今でも忘れられません。
では、この「食べたい」という気持ちはどこから生まれるのでしょうか。
それは、その人が元気だった頃に積み重ねてきた食の記憶です。味や香り、食感、食卓の雰囲気、家族との団らん——こうした体験が複合的に重なり、「快」の感情として心と身体に深く刻み込まれています。
「食」を語ることは、本来、生物学・生理学・脳神経学・社会学といった多くの分野にまたがる奥深いテーマですが、ここではその一端に触れるにとどめます。
味覚は3歳頃にほぼ完成し、6歳頃までの食体験がその後に大きく影響すると言われています。また、味覚は家庭環境や食文化の影響を強く受け、単なる身体機能にとどまらず、心理的・社会的な発達にも関わっています。
興味深いことに、この時期は歯の発達とも一致しています。3歳頃には乳歯列が完成し、6歳頃には第一大臼歯、いわゆる「6歳臼歯」が萌出します。つまり、人は食体験を積むべき時期に、しっかりと食べるための器官が備わるようにできているのです。
だからこそ、「何を食べさせるか」だけでなく、「どのように食べるか」も大切です。身土不二の考えを取り入れ、地産地消や旬の食材に触れること。そして何より、家族で食卓を囲む時間を持つこと。
それらの積み重ねが、その人の一生を支える「食の土台」となり、やがて「食べたい」という力強い意欲を生み出します。
食を育てることは、単に栄養を与えることではありません。人生の喜びを育てること、そのものなのです。


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